西東京市多文化共生センター
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     NIMIC通信 No.60(2011年4月)
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┏ [9] キーワードを読む
    「多文化共生」について理解を深めるために(55)
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 NIMIC設立の理念の中で大きなウェートを占める「多文化共生」。 この言葉をキーワードに、2006年9月号から多文化共生に関わる本の紹介を始めました。
 第55回目の今回は幕末期の日本を旅した外国人の旅行記です。
 2ヶ月前にベスト・エッセイ集のなかで紹介されていた本ですが、読んでみました。

『シュリーマン旅行記 清国・日本』ハインリッヒ・シュリーマン著
 石井和子訳  講談社学術文庫 1998年4月邦訳 \800

 『夢を掘りあてた人 —トロイアを発掘したシュリーマン—』(ヴィーゼ作/大塚勇三訳/岩波書店)という児童書をご存知の方は多いのではないでしょうか。このシュリーマンは、努力して次々に違う言語を身につけて行き、ついには6週間でひとつの言語をマスターし、15ヶ国語を自由に操るようになりました。その語学を生かし現地の人と直に渡り合うことで、貿易で大成功を収めるのですが、巨万の富を築いたところでスッパリとビジネスから身を引きます。そして世界一周の旅行をした後、考古学を学び、子ども時代からの夢であったトロイアの遺跡を探し、発掘に成功したという有名な伝記です。
 この世界一周旅行で中国と日本に来たシュリーマンは、太平洋航海中に『シナと日本』を執筆しており、それを翻訳したものがこの旅行記です。
 日本滞在時期は1865年6月1日から7月4日まで、著者が43歳の時です。幕末(慶応元年)14代将軍家茂の時代で、日米修好通商条約は結ばれているが開国は名ばかりで、通訳ヒュースケンらが殺された事件(‘61)や生麦事件(‘62)などで、外国人にとっては物騒な時代でした。
 にもかかわらず、シュリーマンは持ち前の好奇心と行動力で、横浜・八王子・江戸と行ける所はどこへでも馬を飛ばせて行き、寺、商店、芝居小屋、通りがかりの寺子屋、鍛冶屋、葬式とどこにでも鼻を突っ込み観察して、詳細なメモを残しているのです。
 こんな本があったのかという実に面白い観察記録です。ぜひ手に取ってごらんください。
 もうひとつの面白さは当時の中国と日本の対比で、2ヶ月滞在した中国は万里の長城を中心にあっさりと描かれているのに対し、1ヶ月の日本滞在の記載は詳細を極めており、彼が日本社会に強い興味を抱き好感を持っていたことが感じられます。

 子どもの時に『夢を掘りあてた人』を読んで、私はちょっとうんざりした覚えがあります。努力の結果であるとは言え、15ヶ国語だって。でも、この旅行記でみるとさすがのシュリーマンも中国語と日本語はマスターできなかった!!
 この1ヶ月の滞在中(梅雨が降り続く中)、あちこち動き回る彼を警護するため、江戸幕府の役人5人(前に2人後ろに3人)と馬方6人が常に付き添い、怪我をさせず殺されずに無事返すため、必死に身辺警護したようです。本当にお疲れ様でしたと申し上げたい。
     (NIMIC会員 根本 百合)



 
 
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