6回
長女が7歳の時、郊外に移った。娘が新しい小学校に転入して数週間後、心配なことが起こった。娘が東洋人であることをやんやとはやす、いじめっ子が数人いることが分ったのである。娘にとっては初めての経験で急に不安を感じるようになった。
親としてこの事態をどう処理すべきであろうか。「そんなことすぐ過ぎることだから真剣に考えることないわよ。」と言うオーストラリア人の友人もあった。でも聞くうちに、この種のいじめは娘だけではないことが分った。
ドイツ系、イタリア系などの子供は「ウォグ」とはやされ、イギリスから来て英国アクセントの強い子は「ポム」と呼ばれている。いずれも侮蔑的な呼び名である。
オーストラリアが白豪主義を破棄したのは1972年、娘が生まれた年である。「多文化主義」が新しく国の政策として打ち出されてからまだ数年、まさに過渡期であった。この大切な時期にこのような事態をほっておいてはいけない。
害を受けるのは娘や、いじめの犠牲になっている子供だけではない。いじめっ子たちの将来にも悪影響がある。そう考えて、校長先生に会いに行く決断をした。
校長先生は年配の優雅でしとやかな女性であった。しかし教育者として筋金が通っていることはすぐ感じた。私の話を聞いた彼女は椅子から転がり落ちんばかりに驚いた。「そんなことが起こっているなんて知りませんでした。
さっそくその悪者たちをみつけて厳しく処罰します。」すごい剣幕であった。
あわててなだめにかかったのは私の方であった。自分の娘のことだけではない。長い目でみて、皆が学ばなければならないことではないか・・・ 私の話を最後まで聞いた彼女は、うなずいて「よく分りました。お任せください。」と言った。
彼女の行動は早かった。まず娘を木陰のベンチに呼び、一緒に座ってやさしく話してくれた。「あなたがこの学校に来てくれて、とても嬉しいの。皆歓迎しています。
もし、いやなことを言う子供がいたら、直ぐ私のところにきて教えて頂戴ね。」 新入生の娘をまず安心させた。そして次に7歳児、8歳児のクラスを一つ一つ廻った。
人の外見が違う、アクセントが違うといってからかったりいじめたりすることがいかに間違っているかを、子供たちに分りやすい言葉で話した。
その後いじめっ子が消えたわけではない。しかし、娘の不安はすっかり消えた。人種によっていじめるのは間違っているという真理が校長先生始め、学校ではっきり表明されたのである。
次にいじめっ子にからかわれた時、娘は告げ口には行かなかった。でも他の子供達が先生に言いつけに走った。
「いけないことなのよ。」という概念が子供たちの心に浸透したのである。
娘にとってはそれで十分であった。それからは何のくったくもなく新しい学校に溶け込んでいった。
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