西東京市多文化共生センター


 
2007年9月のNIMIC子ども日本語教室開室時より、中心になって活動していただいていた堀明子さんが、ご家族のお仕事の都合で、去年の夏からベトナムに転居されました。今月から連載で現地の様子を伝えてくださいます。

<NIMIC通信2014年2月~2015年11月掲載>

 


今日もホーチミンは ・・・

 1回 

 シンチャオ!
 初めまして。ベトナム、ホーチミンシティ在住の堀と申します。昨年7月よりホーチミンシティの住人になりました。まだ日が浅いのでわからないことばかりですが、私の異文化体験を交えながらベトナムの近況をお伝えできればと思います。
 皆さんはベトナムと聞いて何を思い浮かべますか?今回は、ベトナムには欠かせないオートバイについてお話したいと思います。
 オートバイといえばHonda。オートバイのことをベトナム語でxe gan may(セー・ガン・マイ)といいますが、xe Hondaとも言われるくらい人気があります。なぜ人気があるのでしょう?Hondaはここベトナムで組み立てられ、made in VietNamなのです。そして、何より故障が少ないと信頼が厚い。オートバイだけでなく、日本製品は何でも品質の高さを認められています。値段の高さも。
 若者は、あこがれのHondaを手に入れるため複数の親戚から借金をするとも聞きます。若者は彼女を乗せ(女性もガンガン運転していますが)、お父さんは家族を乗せ、労働者は荷物を載せます。彼女を乗せるときは2人乗りですが、家族の4人乗りくらいは普通に見かけます。子供用の椅子を括り付けたり踏み台を置いていたり幼児を乗せる工夫をしています。後ろでは母親がまだ首の座らない乳児を抱いていることも。一応子どももヘルメットをかぶっています。
 忘れてはならないのが、布製のマスク。排気ガス対策のようですが、ガーゼのような布を重ねただけのものですから効果のほどは疑問がありますが、無いよりましというところでしょうか。ヘルメットはグッチ、ヴィトンなど高級ブランドのロゴが・・・。ポロ競技でかぶるような硬くなさそうな物もあり、かぶっていればなんでもOK?とにかくオートバイは大切な市民の足なのです。移動の手段としてタクシー、バスもありますが、いつでもどこにでも行けるオートバイはやはり便利です。(自家用車は超高嶺の花。社用車か一部のお金持ちだけの足です。)
 さて、冒頭の「シンチャオ」は、どんな意味かわかりますか。
 次回もう少しオートバイとシンチャオについてお話しますね。
 (ホーチミンシティ自宅にて 堀 明子)

***ベトナム社会主義共和国とは***

 漢字では「越南」、英語表記は「Socialist Republicof Viet Nam」です。
 面積は、32万9,241平方km(日本の約90%)で、国土は南北に長く、北は中国、西はラオス、カンボジアと国境を接しています。
 首都・ハノイまでは、成田国際空港から直行便で約5時間30分、日本との時差は2時間(日本時間から2時間遅れ)です。
 人口は、約8,970万人(2012年。日本の約70%)で、約86%を占めるキン族(越人)の ほか、53の少数民族が暮らしています。
 公用語はベトナム語で、国民の約80%が仏教徒です。

    

 

 2回

 今月はオートバイ編の続きをお伝えします。
 便利なオートバイですが、歩道を走る、逆走するのは当たり前。歩道を歩いている私がおかしいの?と思うくらい、後ろからビービー鳴らされます。
 ベトナムは右側通行です。青信号で渡っていても、右折してくるオートバイと車に足を止められ、気がつけば赤に変わっていてもう渡れないなんてことも初めの頃はよくありました。今では運転手の目をキッと見つめ、渡ることをアピールしながら平静を装って歩いています。
 ここで肝心なのは歩いて渡ること。走ってはいけないのです。相手も心得たもので、歩く速度を見て微調整しながら走っているそうです。車に関してはぎりぎりまで速度を落とさないので、道の真ん中で立ち止まってやり過ごす方が安全です。
 日本では何の疑問も持たずにふらふらと歩いていましたが、 お国変われば事情も変わる。週2回、タクシー10分、それから歩いて片道25分かけて通っているベトナム語教室への道が 私を鍛えてくれました。
 雨季の頃、面白い物を見かけました。雨が降っていても当然オートバイは走っています。ポンチョ式のとても簡素な合羽を羽織っていつものように走っています。そんななか、目に留まったのは2人用のポンチョ。首を出す穴が2つありました。なるほど・・・と感心してしまいました。

 雨にも負けず、風にも負けず、車にも負けないオートバイ。 私もビービー鳴らしながらホーチミンの町を激走してみたいと感じる今日この頃です。
 さて、「シンチャオ」ですが、これは挨拶の言葉です。それも一日中使用可能な非常に便利で、丁寧な言葉です。「おはようございます、こんにちは、こんばんは」、がこれだけでいいなんて、外国人には覚えやすくて助かります。
 (ホーチミンシティ自宅にて 堀 明子)

 

 3回

 シンチャオ、皆さん。まだ桜は咲いていますか。
こちらホーチミンは、旧正月明けからじわじわと暑さが厳しくなっています。5月の中旬頃から雨季に入るので、それまでは朝からジリジリの太陽と格闘です。
 今回は、アオザイについて。
 ご存知の通りアオザイはベトナムの民族衣装です。普段着から正装までいろいろな種類があります。女学生の制服は真っ白なアオザイです。黒いストレートヘアをヘルメットからなびかせてオートバイで通学する女学生は、ホーチミンでは残念ながらあまり見かけられなくなっています。まあ、日本でも着物姿の女性をあまり見かけないのと一緒ですね。
 元女学生だったベトナム人の先生によると、卒業以来アオザイを着ることもないので1枚も持っていないとのこと。そういう人が多いそうです。
 確かに街ではお店の制服以外で着ている人は見かけません。制服にしているのは国営デパートやベトナム料理店、ホテルくらいです。幅広のロングパンツと長い上衣の組み合わせなので動きにくいということはなさそうです。着物と違って一人でも簡単に着られます。こちらの女性はなぜか老いも若きも平均しておなかがポッコリ。アオザイならおなかのポッコリも隠せるのにもったいないなぁと思います。いや、胸がなければやはりおなかのほうが目立ってしまう?!既製品もありますが、オーダーで作る人が多いそうです。万国共通、女性は常に美しくありたいとうことでしょうね。
 来越して間もない頃、結婚披露宴で見た新郎新婦のお母さんのアオザイの美しかったこと!ビーズやスパンコール、刺しゅうも見事で本当に素晴らしかったです。あれは高かっただろうなぁ…
 私もいつか手に入れてみたい、そう強く思いました。
 (ホーチミンシティ自宅にて 堀 明子)

 

 4回

 シンチャオ!春ですね。実は4月初旬から一時帰国しています。
久しぶりの日本のご飯はおいしいです。お米の一粒、一粒がおいしい!
ということで、今回はお米について。
 ベトナムのお米はとにかく種類が多いです。日本のジャポニカ米もありますが、細長いインディカ米が多種売られています。ベトナム北部は一部が二毛作、南部をはじめ多くが三毛作です。我が家で食べているのは日本の名前がついたジャポニカ米、もちろんベトナム産です。
 味は・・・炊き立ては何でもおいしいです。ベトナム人の多くが食べているのはインディカ米。糠の臭いがきつい物もありますが、比較的癖のない食べやすいお米もあります。在住日本人でもインディカ米がお気に入りという人もいます。
 ベトナム人はよくお米を食べます。女性もお替りします。麺も米粉製が多いですから米の消費量はかなりのものです。生産量は世界第5位ですが、輸出量はあまり多くありません。国内での消費が多いのと、輸出システムが整っていないことが原因のようです。最近は日本企業がベトナムで日本米の生産指導をし、日本への輸出に向けて準備しているようです。
 麺と言えば、日本で馴染みがあるのはフォー(きし麺みたい)ですが、こちらではブン(丸いうどんのよう)が多く食べられています。その中でも中部地方のブンボーフエは大人気。ほかにもフーティウ(フォーより細い)やミー(中華麺)、ミェンは春雨、タピオカ麺のバインカンなどがあります。味付けはあっさりから酸っぱ辛いものやパンチの効いたのまでいろいろです。フォーは鶏肉、牛肉入りが多いです。有名なチェーン店にはなぜか豚肉はありませんでした。路上の屋台では具材の細かい注文もOKです。一般的に北部(ハノイ)はフォー、南部(ホーチミン)はフーティウが名物のようです。
 百聞は一見に如かず、ぜひベトナムで本場の味をお試しください。
 (西東京市自宅にて  堀 明子)

 

 5回

 シンチャオ!どうやらホーチミンは雨季に入ったようです。
 カリカリに乾いた大地にようやく恵みの雨といったところでしょうか。
 今回は電力について。
 ベトナムは南北に約2,300㎞と細長く、北海道から地続きで本州九州を一まとめにしたような地形を想像していただくとよいかと思います。
 北部は夏は蒸し暑く冬は雪の降らない寒さで秋がない3つの季節、中・南部は雨季と乾季の2つの季節があるといわれています。雨季といっても一日中降っているわけではありません。
 降り始めたらカフェや本屋などで雨宿りがてらお茶を飲みながらのんびり待ちます。傘をさしても足元が濡れてしまうし、降り出すとなかなかタクシーがつかまらないのです。
 ベトナムの電力は50%弱が水力発電です。次いでガス火力約35%、石炭火力20%弱となっています。水力発電は天候の影響を受けやすいので火力発電も欠かせません。今後は安定した供給のために火力発電を50%強にして水力を10%程度に抑えたいというのが政府の考えのようです。
 都市部ではエアコン普及率が上がってきています。冷蔵庫も大きくなっています。扇子であおいでいたのが扇風機に、そしてエアコンにと電気をたくさん使う生活が主流になり、いずれは都市部のみならず大量に電力を消費する時代が来ます。
 北部の石炭がどの位の埋蔵量なのかわかりませんが、やはり原子力発電にも近い将来お世話になることでしょう。当然のことながら電気代、ガス代、水道代などは高いです。
 実は昨日も停電がありました。夜の停電時はろうそくに火をもします。ろうそくは必需品で、巨大なものから小さいものまで香り付きが一般的です。高級アパートやサービスアパートなどは自家発電があり一瞬切れてもすぐに戻るので問題ないそうですが、我が家はエレベーターと1階ロビー以外はピタッと止まってしまうのでいつ戻るかわからないままじっと我慢です。
 冷蔵庫も開けられないしインターネットも使えないので、汗を流しながらただひたすら回復を待つしかないのです。
   (ホーチミンシティ 自宅にて  堀 明子) 

 

 6回

 シンチャオ!今回は市場について。
 暑い!臭い!うるさい!三拍子揃ったのがベトナム市場。生活に必要な物のほとんどを手に入れることが可能なところです。生鮮食料品から乾物など口に入れる物全般、本当に何でもあります。
 魚は淡水魚からナマズ、雷魚、蛙などもあり、頼めばさばいてくれます。海があるのに流通しているのは川魚がほとんど。(気温の高い海でとれる魚は美味しくないらしいです。)肉は鶏、豚、牛、ヤギ、その他いろいろな動物の肉があります。貝類も種類が豊富。そして、栄養満点、スリル満点の昆虫類。生花は日本よりぐっと安く、きれいにアレンジされています。バラが50本で千円位からですからその安さがおわかりいただけるでしょう。絵画や置物などの装飾品、籐製品、陶製品、衣類、布地、靴、バッグ、帽子、アクセサリー、調理器具、ジュエリー、時計、化粧品、無い物が無いくらいです。そして、食事もお茶も出来ます。
 全てが一つ屋根の下に密集しているので臭わないわけがないですね。
 観光客が気軽に行けるのが、ホーチミンはベンタン市場。歩いているとかなり強引な客引きが腕を掴んで引っ張ります。日本では違法な行為に初めは衝撃を受けました。そして、「お姉さん、何ほしい?」と日本語が続きます。探している物がある時は「○○ある?」と聞くと、自分の店に無くてもついて来いというジェスチャーで別の店に連れて行ってくれます。
 以前胡桃を探していた時、ベトナム語がわからず、漢字を書いたり拙い絵も描いてみましたが結局伝わらず。電話で友達に聞いてくれたり、一生懸命探してくれました。相当時間を費やし、諦めて帰ろうと歩き出したら偶然発見。何とか入手できました。
通常、言われた値段で買うのは日本人くらい。交渉のやり取りもコツを掴めば楽しくできます。たくましいお姉さんやおばちゃんたちに負けない強い気持ちで押したり引いたりしながら落としどころを見つけます。
 「今日は私の負けかな?」と反省しながら帰路に着くことがほとんどですが。
 次回も市場についてお伝えします。
   (ホーチミンシティ 自宅にて  堀 明子)
 

 

 7回

 シンチャオ!さて、先月に続き市場のお話です。
 ホーチミン市の卸売市場は、日本人が多く住む中心街より少し離れたところに多くあります。約2万平方メートルの敷地に数千の問屋が軒を連ねるビンディエン農産物卸売市場は、ベトナム中南部、メコンデルタやダラットから集まった食材が毎日2,100tほど売り買いされるそうです。
 業者向けですが、早朝6時から約1時間ほどは一般客にも販売されるとか。ただし、夜9時から始まって終わるのが翌6時頃ということですから売れ残り!?工具や電気部品を中心にしているヤンシン市場には、軍用ブーツやヘルメット、迷彩服、ジッポーライターなども並んでいます。 ベトナム人の足となっているオートバイの部品は新品から中古までタンタイン市場で。
 布問屋が100軒以上集まるソアイキンラム市場。近所には手芸に関する物なら何でも揃うといわれているダイクアンミン商業サービスセンターもあり、手芸好きな方には栄養ドリンク持参で出かけてほしいところです。
 どこの市場にもお食事処がありますので、小腹を満たし甘い物で一息つくというのは、暑い国では必要不可欠な行動です。 市場でベトナム人のエネルギーを感じられたら、自分が元気の出る物に挑戦するのもいいかもしれません。
 日本人には馴染みのない物ばかりですが、栄養豊富な健康食として国連食糧農業機関も大注目の昆虫料理。コオロギ、蟻、蝉、バッタ、サソリ、蜂、蝶、蚕などなど昔よく食べられていて、しばらく見かけなかったけれど、ここ10年くらいは都市部のレストランに並ぶようになったとか。
 すっかり原形を変えた物は言われなければ異国の味として美味しくいただけるかも。私は蛙やワニくらいなら美味しく頂戴しますが、昆虫はまだ挑戦する勇気がありません。 どなたか一緒にチャレンジしてみませんか?将来食糧難になった時、確実に生き延びることが出来るのは・・・そんな大それたことは申しません。自分が一番腰が引けていますから。
   (ホーチミンシティ 自宅にて  堀 明子)
  

 

 8回

 シンチャオ!みなさん、暑さに負けていませんか?またまた日本に帰っています。
 帰ったら即、夏物処分セールに走りました。 普段の買い物ストレスを発散!ベトナム製のタグを見て複雑な気持ちになりますが、やはり日本で購入する安心感があります。
 日本に戻っていつも思うこと。日本は町も人もきれい!暑いのは同じなのにきちんとした格好。濃過ぎないメイクの女性と小ざっぱりした服装の男性。街中をビーチサンダルで歩いているのは我が夫くらい。 夕方になってもパジャマで歩く人は皆無。上半身裸で昼寝をしている人は…やっぱりいません。そして町が静かです。歩道は安心して歩けます。
 今回はトイレのお話です。以前ベトナムの路上は何でも屋とご紹介しましたが、まさかトイレまで?!
 特にバス停の後ろ側は要注意です。陰になるからやりやすいんでしょうが、隠れることのできないところでも壁に向かっている男の人がいたら注視せずその場を離れましょう。すぐそばで食べ物を売っているのは理解できません。そんなところで用を足すなと注意しないのでしょうか。私はまだ見たことがありませんが、年配の女性が幅広のズボンをスッとまくり上げて路上で・・・?! これはさすがにヤバイ。
 路上だけではなく、建物の中のトイレも要注意です。女性用しかわかりませんが、入り口でガラガラと紙を巻き取って個室に入るところがあります。
 もちろん個室内に備え付けられているところもあります。全く何もないところもあります。気をつけなければならないのは、用済みの紙をどうするか。流してはいけないことが多いです。紙がたくさん捨てられているゴミ箱があったら迷うことなくそこに捨てます。
 タンク横にあるホース状のものは、紙を使わず洗い流すための道具のようです。日本のシャワートイレが手動のクラシカルな形で存在していると思っていただければわかりやすいでしょうか。隣との仕切り板が床まで無い時は、隣の人が何をしているか床に映ってしまうところもあります。便座に足跡が付いていたら、便座に靴のまましゃがんでいるということです。
 何のための便座なのか・・・。日本のトイレがきれい過ぎるのか、はたまたベトナムのトイレが発展途上なのか。どちらにしても郷に入れば郷に従えです。
    (西東京市自宅にて  堀 明子)
 

 

 9回

 シンチャオ、みなさん!
 日本は、そろそろ山や木々の色が変わり始める頃でしょうか。 想像の翼を広げて秋の味覚を思い出しています。 ここホーチミンも、僅かですが涼しくなったような気がします。 秋とまではいきませんが。
 中部は雨季に入った頃です。昨年、この時期に中部の古都を旅しましたが、ほとんどの場所で雨に降られ、傘をさした写真ばかりが手元に。ちょっと残念でした。
 中部には、重要文化財が多く、世界遺産に登録された町や遺跡もあります。 古都フエには、ベトナム最後の王朝、グエン朝の都が置かれていました。フォン川のほとりに歴史的建造物が点在し、13代にわたって続いた歴代皇帝廟や寺院が見られます。
 フランスによる植民地化など諸外国の介入に翻弄されながらも、1945年のベトナム民主共和国独立宣言まで143年間続いたグエン朝。
 歴代皇帝の政策や好み、死生観を各廟で感じることが出来ます。
 男色の皇帝もいたとか、ガイドさんの話はガイドブックでは得られない面白いものでした。
 宮廷料理は、当時、国中から一流の料理人が集められ、腕を競い合った豪華絢爛なものです。上品な味付けは日本人の口にも合います。ホーチミンにも高級フエ料理店がありますが、やはり本場の味と雰囲気でいただくのは格別です。
 最近知ったことですが、ベトナム(越南)という名前は、1804年に中国から与えられたそうです。まだまだ知らないことの多いベトナム。
 もっともっと知りたい、不思議な魅力を持った国です。 
   (ホーチミンシティ自宅にて  堀 明子) 

 

 

 10回

 シンチャオ、みなさん!
 中部には観光の拠点となる町が3か所あります。フエ、ダナン、ホイアンです。
 ダナンは中部最大の商業都市です。ハン川河口に開け、大型船が並びます。古くから東西交易の中継点として重要な役割を果たし、2~15世紀に勢力を誇ったチャンパ王国の拠点でした。ベトナム戦争時には米軍最大の基地と第1海兵師団司令部が置かれていたそうです。
 観光名所のブルーマウンテン(五行山)は、5つの大理石の山々からできていて、エレベーターで登ることが出来ます。ビーチも人気があり、近年はリゾートホテルが次々にオープンしています。
 ダナンから南東に30km 、トゥボン川河口に位置するホイアンは、旧市街全体が世界遺産に登録されています。チャンパ王国の時代からグエン王朝時代にかけて、中国、インド、イスラム世界を結ぶ海上交易の中継点として栄えていました。16~17世紀には、朱印船に乗って日本人の貿易商人も訪れるようになり、最盛期には1,000人以上の日本人が住み日本人町が作られていました。しかし、江戸幕府が鎖国政策をとったことにより町は衰退し、現在、当時の面影はほとんど残っていません。
 1593年、日本人によって架けられた木造屋根付きの遠来橋(日本橋)は東側の日本人街、西側の中国人街を結ぶ橋で、中央に船の安全を祈願する小さなお寺があります。外国から来る船の停泊地に近かったので遠来橋と呼ばれたそうです。 
 ホイアンは、ランタンの町としても有名です。カラフルな提灯は、街灯の少ない夜を幻想的に見せてくれます。夜の散歩にはバッチリ。
 旧市街は、土地が低いため毎年のように洪水の被害に悩まされています。昨年は、観光客が浸水した旧市街地を小さなボートで非難する様子がニュースになっていました。地元の人は毎度のことなので慌てるということでもないようでした。
 (ホーチミンシティ自宅にて  堀 明子)

 

 

 11回

  シンチャオ、みなさん!
 雨季が明けたような、まだのような、微妙なお天気のホーチミンです。以前、ベトナムの民族衣装アオザイをご紹介しましたが、今回は普段着についてです。

 その名も「ドーボー」。市場や路上食堂、路上雑貨屋の女性がよく着ています。素材は綿や伸縮性のあるもので、上下揃いの柄です。
 私が見かけるのは、大体中年女性が多いので、ある程度の年齢の女性に人気があるのかと思ったら、なんと子供用もあるのだとか。年齢に関係なく普段着、仕事着として愛用されているようです。

 このドーボー、オーダーメイドが基本だそうで、自分の好きな生地でデザインも細かく希望を言って、採寸もしっかりやってもらいます。2~3日で完成、布代+縫製代で2千円~3千円位です。田舎に行くともっと安く仕上がるようですが、外国人がオーダーするのはちょっとハードルが高いです。

 ヒョウ柄、花柄、色も派手、スパンコールやラインストーンを付けたり、スリット入り、袖にギャザー、襟元や裾にフリル、刺繍などとにかく可能な限り自己主張をしているなと感じます。
 若い女性は、パジャマや部屋着にしているそうで、街でドーボーを着ているお嬢さんを見かけることはほとんどありません(ホーチミン市内に限ってです)。

 「アオババ」という普段着もありますが、こちらは上と下は別の生地です。主にメコンデルタ地方の農村地帯で多く着られていて、ホーチミン市内ではほとんど見かけることがありません。

 どちらも市場などで購入可能ですが、さすがに手が伸びません。南国らしい派手さがまだちょっと苦手な私です。
    (ホーチミンシティ自宅にて  堀 明子)

 

 12回

 シンチャオ、みなさん!

 あけましておめでとうございます。
 2014年はいかがでしたか?日本は自然災害や、急激な円安、突然の選挙など予期せぬ出来事がたくさんあった年なのではないでしょうか。悲しいことも多く、異国の地で心を痛めておりました。もちろん、嬉しいニュースもたくさんありましたね。

 さて、ベトナムは歴史的に中国の文化が色濃く残っているのですが、その中でもお正月(旧正月、今年のお正月は2月18日)は墨文字で「福」などの漢字を額に入れて飾ったり金きらきんの獅子舞などが披露されたりします。昨年は路上パフォーマンスを日傘をさして見ていたのですが、足元はすっかり日焼けしてサンダルの痕が残ってしまいました。 今年の干支は、羊ではなくヤギです。

 お正月はご先祖様が帰って来る日でもあり、家族と過ごすのが一般的で、ホーチミンで働いている人も家族の住む田舎に帰省します。ですから、騒々しさがうそのように静かで空気がきれいになります。
 昨年まだ正月にはもう少しという時期に、若いお兄さんにベトナム語で話しかけられ、「ベトナム語、わからないよ」と答えると今度は英語で「私は大学生です。今から田舎に帰ります。でも、バス代がありません。お金をください」と言われたことがあります。
 私は「お金はありません」と答え、ついて来られたらどうしようという恐怖も少しあり足早に立ち去りました。それより大学生ならアルバイトなどで1年かけてコツコツお金を貯めることも出来たはず、との思いが沸き上がり、お金を渡すことはしませんでした。
 私は普段から路上で物乞いしている人にもお金をあげることはありません。なぜなら、お金が100%その人の物にはならないことが多いからです。組織に搾取されて、悪い組織の資金になっているからです。
 この国は持っている人が持っていない人にあげるのは、よくあることです。タクシーに乗っても、デリバリーの人にも、修理に来た人にもチップを渡したり、飲み物をあげたりします。チップの習慣がない私にはとても気疲れする面倒なことですが、住まわせていただいているという気持ちを忘れないためにも必要なことと心がけています。でも、正当なサービスに対する気持ちです。わざと遠回りするタクシーには、絶対にきっちりお釣りをもらいます。
 お正月は怒ってはいけない日です。どうか私を怒らせないでね、タクシーの運転手さん!
     (西東京市自宅にて  堀 明子)
  

 

 13回

 シンチャオ、みなさん!

 寒いですね、やっぱり冬は。
 先日、久しぶりに銀座に行きました。
 半年前に一度行ったことのあるビルを目指していたのですが、前回とは違う出口から地上に出てしまい、みぞれの降る寒い日にうろうろ・・・。事前に調べたのは目的地1から2へ移動する道順。目的地1でつまずいてしまいました。
 住所表示を確かめながら行けばたどり着けるはずと思ったのですが、なんと肝心の住所表示が見当たらない!?ベトナムでは、お店の看板に必ず住所が書かれているので、すっかりその気になって安易に出かけてしまったのでした。やっと見つけた表示板はとても小さくてお上品。ベトナムのようにバーンと看板に大きく書いてあったら・・・。
 ホーチミン市内では、お店がないところでも、街路樹の幹に番地が書かれているので確実に目的地にたどり着けます。そして、短い間隔で通りの名前が書かれた標識があるので、たとえタクシーの運転手が田舎からの出稼ぎの人だとしても、最短コースを望まなければちゃんと行けるのです。

 現在ホーチミン市は、地下鉄工事が進んでいます。日本企業とベトナム国営企業との共同事業です。溢れるオートバイ、増え続ける自家用車、いつ来るかわからない路線バス、怪しげなバイクタクシー。いつまでこの光景が見られるでしょうか。基本的に歩かないベトナム人が5年後くらいには駅から目的地まで徒歩で移動するようになるかもしれません。
 今は、歩いて帰宅する私に、「後ろに乗りなよ!」と声をかけてくれるオートバイのお姉さんもICカード片手に闊歩するのでしょうか。もう今のようなピンヒールの靴ではいられませんよ、お姉さんたち!

 おしゃれな駅ができたら、きっと街の景色も大きく変わることでしょう。見たいような見たくないような、ちょっと複雑な気持ちです。
     (西東京市自宅にて  堀 明子) 

 

 

 14回

 シンチャオ、みなさん!

Chuc mung nam moi ! (チュッムンナムモーイ)
あけましておめでとうございます。

 ベトナムでは、お正月をテト(本来の発音は「テッ」)と言います。
 旧正月で今年は2月18日が大晦日、19日が元旦でした。
 メインストリートでは歩行者専用道路が設けられ、たくさんの花や張りぼての干支の像が飾られます。
 ホーチミン市だけでも8か所で花火を打ち上げ、あちこちの路上で獅子舞のアクロバティックなショーがあり、とにかく盛大に祝います。
 家々の軒先に国旗が掲げられ、催し物のないところでは、普段の喧騒がうそのようにシーンと静まり返ります。
 道路を通行する車両が極端に減少するため、空気が澄んで町の色が鮮明!普段いかに排気ガスで空気が澱んでいるのか、この時期でなければ味わうことのできない新鮮な空気に思わず深呼吸してしまいます。

 ベトナム人にとってテトは1年で最も大切な祝日です。テトを迎えるために家族総出で大掃除をし、古いものを捨て新しいもので新年を迎えます。
 テトを境に、前年の不幸や不運はすべて洗い流されるらしく、結構思い切りよく何でも捨てます。

 普段遠く離れて暮らしている家族や親戚が帰省するため、また日本のお盆のようにご先祖様も戻ってくるとされているので、迎える側の人々はお正月料理を作り、お年玉を準備してテトを心から待ちわびるという感じです。
 テト期間中は、ほとんどのお店が閉まってしまいます。スーパーも路上食堂ももちろん休業します。単身赴任者には、いつもお世話になっている飲食店がやっていないというのは大変なことです。
 この時期に観光に訪れるのはあまりお勧めしません。ホテルから出ても、ベトナムらしさを味わうことは難しいです。
 オートバイの洪水を体験しなければ、ベトナムに来たという実感がわかないと思うからです。
 クラクションの音、渡れない道路、菅笠の物売り、路上食堂、そしてゴミ。
 これら全てがベトナムらしさを醸し出しているのです。
 テト中に怒ったり、喧嘩をしたり、悪口を言うのはタブーです。普段短時間しか一緒にいることのない夫と長時間一緒にいると「・・・!!」ということがあります。しかし、テト中はぐっと堪えなければなりません。

 今年も交通事故に遭わないように、タクシーに遠回りされないように、ひったくりの被害者にならないように気を引き締めていこうと思います。
     (北海道美深町にて 堀 明子)
 

 

 15回

 シンチャオ、みなさん!

 最近、テレビでベトナムを取り上げた番組が多いように思います。特に飲食関係が多いような気が。ということで、今回はコーヒーについて。

 ベトナムのコーヒーは、「カフェ」と言います。フランス統治時、フランス人宣教師が持ち込まれフランス人のためにコーヒー栽培を始めたそうです。それが独立後にベトナム人のためのものになり、現在のカフェ文化が根付いたようです。

 ベトナムはコーヒー豆の生産量が世界第2位だということをご存知でしょうか。1980年代初頭は、世界42位。それから急成長を遂げて、第2位の座を守っています。

 豆の種類はロブスタ種です。日本はアラビカ種が主ですね。
 ベトナムコーヒーの最大の特徴は、濃厚な香りと甘さ、そして深い苦みです。
 深入り焙煎で苦味が出ます。焙煎の時にバターなどを加えてあの特徴的な香りを出しているそうです。

 グラスやカップにまずコンデンスミルクを入れます。そして、その上にアルミやステンレスでできたフィルターを載せます。中に挽いたコーヒーを入れ、中蓋をしてお湯を注ぎ蓋をします。おちるまで結構な時間がかかるので慌てず、騒がずじっと待ちます。
 これがアイスなら「カフェス(ア)ダー」、ホットなら「カフェス(ア)ノン」と言います。かなり甘いので私は「カフェデン」(ストレート)を頼みますが、とても苦いのでケーキなどの甘味が欠かせません。ほかに、コピ・ルアクもあります。ご存知でしょうか。ジャコウネコやリス、タヌキなどの糞のコーヒーです。これは超高級品!!
 糞のコーヒーなんて聞いただけではオエッときますが、動物が食べたコーヒーの実が消化されず排泄されてそれを洗って作る最高級のコーヒーとして珍重されているそうです。コーヒー好きの方はよくご存知ですよね。

 ベトナムでお茶をしようと思うと、まず屋根があるか、エアコンがあるか、そのあたりは重要です。フランス風のおしゃれなカフェ、路上の風呂椅子カフェ、いろいろなところでのんびりお茶をするベトナム人には人生を楽しむ余裕のようなものを感じます。
  (ホーチミンシティ 自宅にて 堀 明子)
 

 

 16回

 シンチャオ、みなさん!

 春ですね!今年の桜はいかがでしたか?ホーチミン市は、いよいよ暑さが厳しくなってきたそうです。買い物に出るのもためらってしまうとのこと。日本のソフトな暖かさが懐かしく感じるそうです。と、伝聞形式になっているのは、実はまた帰国していて、北海道の実家でこの原稿を書き始めたからです。今年は家族のことで頻繁に帰省しています。

 今回、3月末に日本に戻りました。ホーチミン市のタンソンニャット空港から成田を目指したのですが、いつも利用している日系航空会社ではなくP航空で。あと10分くらいで搭乗かなと思っていたところ、ベトナム語で少し長めのアナウンスが流れました。ところどころしか理解できず、遅延だということだけわかりました。その後の英語でのアナウンスが流れると「オーマイガッ!?」叫ぶような声があちこちでしました。やはり遅延で遅れるとのことでしたが、欧米系の男性が私に「いつもこうなんだ!全く、この間もひどい目にあった。いつもいつもこの飛行機は・・・」と、不満を早口でまくしたてていました。
 明らかに私に話しかけているので「そうですか、それはひどいですね・・・」と返すのが精一杯でした。私はそんなことより、乗り継ぎ便がどうなるのかの心配が大きくて。

 搭乗口でスタッフに詰め寄るベトナム人の中の一人が私に話しかけてきました。「にほんじんですか?」滑らかさに欠ける発音です。その人のTシャツの背中に日本語で会社の名前らしきものが書かれています。近くには同じような男性が6名。若そうな人も30代~40代かなと思われる年恰好の人もいます。そうです。
 技術研修生のみなさんでした。

 昼食を技術研修生のみなさんとご一緒し、搭乗時間までミニ日本語レッスンをしながら過ごしました。結局、成田空港到着まで一緒にいたので私は引率の日本人に間違えられたりもしました。

 次号でもう少し彼らと過ごした時間についてご紹介したいと思います。
 今年はベトナム南北統一40周年です。記念日の4月30日前後は市内を通行止めにして大パレードが行われ、普段から賑やかなホーチミン市が一層賑やかに盛り上がることでしょう。
 ああ、見られないのが残念!
 (北海道美深町にて 堀 明子)
 

  

 17回

 シンチャオ、みなさん!

 久しぶりのホーチミンは燃えるような朝焼けがきれいです。
 サイゴン川の向こうの高層ビルの隙間から太陽が顔をのぞかせる頃は、エアコンなしでは息苦しい位室温が上がってきます。今日も5時45分には強烈な太陽がギラギラ唸り始めました。
 今年はなかなか雨が降らず、電力不足からか計画停電に電力と共に体力も奪われています。
 では、前回に続いて技術研修生のお話を。

 彼らは19歳~40歳代前半のグループでした。
 日本に行くにあたって、ホーチミン市で朝から晩まで日本語のトレーニングを6か月受けたと言っていました。教科書はオリジナル(多分)で指導者は基本的にベトナム人。時々日本人の会話授業もあったそうですが、彼らは私の言うことはほとんど聞き取れませんでした。
 だんだん我慢できなくなって昼ご飯を食べている時も、ついミニ日本語レッスンをしてしまいました。彼らは食い入るように私を見つめ必死に聞き取ろうとしますが、こんなんで大丈夫なの?という不安を最後まで消し去ることは出来ませんでした。でも、成田には受け入れ先の日本人スタッフが迎えに来るというので一まず安心しました。
 日本到着翌日から始まる日本語漬けの1か月で何とか耳を鍛えてほしいものです。

 実は、技術研修生に出会ったのはこれが初めてではありません。
 以前、日系航空会社を利用した時も隣にベトナム人男性が座っていました。日本が近くなって入国カード、税関申告書が配られ、彼は「すみません、これ・・・。」と私を見つめ、・・・英語はやはり通じませんでした。日本での住所、入国の目的など変な日本語とベトナム語を駆使してやり取りしてみましたが、どうにも理解できないことが多くて、「パスポート見せて!」在留カードを持っていることがわかり、(これが噂の技術研修生!となぜかちょっとだけ感動すら覚えて)それも見ながら私が代筆してしまいました。代筆っていいんだろうか?不安はありましたが、サインだけは本人にさせたからまぁ何とかなるだろうと勝手に納得して記入終了。

 今回も全く同じ状況でした。機内でほかのお客さんの頭を飛び越えてパスポートやら書類を行き来させ、客室乗務員からは中国語で話しかけられ、乗りかかった舟じゃないけれど難破しそうな怪しい舟はとりあえず成田空港に到着したのでした。
 
 お知らせ:「ベトナムフェスティバル2015」 www.vietnamfes.net 
      6月13日(土)&14日(日)代々木公園イベント広場にて
      建国70周年記念も兼ねたビッグイベントです。
 どうぞお出かけ下さい!
(ホーチミン市にて 堀 明子)
 

 

 

 18回

 シンチャオ、みなさん!

 前回、雨が降らないと書いた翌日から激しいスコールが。
 アパートの横の通りは大洪水で、車もオートバイもノロノロ運転です。
 止まるとマフラーから水が入り走行不能になってしまうのでとにかく進むことが大切です。
 こういう時は容赦なく歩道に乗り上げて来るオートバイ。私はゴルフ用の大きな傘をさして必死に歩いているのに、前からガンガンやって来ます。
 「ここは歩道だ!」
と日本語で叫びながら向かってくるオートバイに負けじと歩みを進め、何とかアパート敷地内に戻ることが出来ました。
 数か月前に道路の補修をしていたのですが、期待は簡単に裏切られ何のために何をしていたのか、まったく事態は改善されませんでした。
 しかし、そんな雨の中どこへ行っていたのかと思われることでしょう。実は、通りの反対側のアパートの裏に、美味しいケーキ屋さんがあるのです。
 名前が「ムッシュ・タカノ」。日本でケーキの修業をした若い女性(多分)が作るケーキは日本のケーキ屋さんと変わらず美味しい!!ホーチミンシティ市内の日本人が絶賛するお店です。
 以前行ったヨーロピアンがよく訪れるお店で、大きさもさることながらあまりの甘さに胃がもたれて全部食べ切れなかった経験もあるのですが、ムッシュ・タカノはピカイチ。唯一気になる点は、営業時間です。9時~12時、16時~22時しか開いていないのでお茶の時間に食べようと思うと、午前中に購入して冷蔵庫へということになります。小さい冷蔵庫に日本から持ってきたチョコレートやらお煎餅、海苔、粉物、ある時に買わないと次に入荷するのがいつかわからない野菜類が詰め込んであるため、本当はケーキを入れる場所などないのですが、ビールを出してスペースを作ります。
 住み始めた頃は、スーパーに行っても値札がない、生肉がない、珍しくもない野菜が売切れたら次に入荷するのがいつなのか全く読めない・・・と、無い無いづくしでストレスがたまりまくりだったのですが、「ま、こんなものだな。」と切り替えることが出来るようになったので、最近は何も感じなくなってきました。それよりも、日系の会社が増えて日本人も増えて、日本の商品を目にすることが多くなってきた喜びの方が大きいです。
 あとは、関税が何とかなれば・・・。
 (ホーチミン市にて 堀 明子)
 

 

 19回

 シンチャオ、みなさん!

 日本も毎日暑そうですね。
 今回は路線バスでの恥ずかしいお話です。

 先日路線バスでホーチミン市の南西に位置するアンドン市場とアンドンプラザに行って来ました。
 集合場所はニューワールドホテル。
 ホテルの側の9月23日公園(ちゃんとした公園の名前です。
 第2次世界大戦後、フランス軍が再侵攻してきた時にサイゴン市民が抵抗運動した1945年9月23日を記念してつけられた)に面したバス停から乗ることにしたのですが、路線図も行き先番号表示もありませんでした。もし間違っていたら降りればいいねと、とりあえず方向的に合っていそうなバスに乗り込みました。

 初めてのワンマンバス!
 運転手が後ろに行けと指をさすので次々に乗ったはいいけれど、料金がいくらなのかがわかりません。「ボンムイ・・・」え?40万ドン?
 バスでもボったくられちゃうの!?「ボンムイ(40)・・・ハイムイゲン(2万ドン)!」と運転手。バスは4千ドンか、5千ドン、6千ドンくらいのはずなのに・・・。後ろの席の女性も教えてくれるのですが、やはり運転手と同じことしか言いません。右手に4千ドン、左手に5千ドン札を見せてどっち?とゼスチャーでやって見せましたが、頷きながらやっぱり「ボンムイ・・・」。
 日本人4人、「いくらなんだ~!?」としばらくわぁわぁ言いましたが、結局2万ドンを払いました。運転手も女性も「4人で2万ドン」と言っていたのです。「ボンムイ」ではなく「ボングイ(4人)」。4MUOI(40)と4NGUOI(4人)。NGUOIはNで始まる鼻濁音。ガーっというバスのエンジン音(これは言い訳)、バリバリネイティブの立派な発音についていけなかったのでした。

 ちなみにバスは先払いで、4千ドンだと24円位です。どういう基準で運賃が決まるのかよくわかりません。距離ではなさそうです。車体の新しさでもなさそうです。また、バス停ではないところでもリクエストすると徐行してドアを開けてくれるので乗降が可能です。タクシーの初乗り運賃が1万ドン~1万2千ドン。物価上昇中のベトナムで、バスの安さが有難い!
(時間は全く読めませんが)
 しかし、いつまでたってもベトナム語に翻弄されるなぁ・・・。
 (ホーチミン市にて 堀 明子)
 

 

 20回

 シンチャオ、みなさん!
いかがお過ごしでしょうか。

 約2か月ぶりにホーチミン市に戻りました。
 戻ってみると、たった2か月の間になくなってしまったお店や、こんなところにこんなお店が?と目に入る景色がちょっとだけ変わっていました。
 でも変わらないオートバイの洪水に「ああ、また戻って来たんだな」と感じる今日この頃です。

 先日、市民の台所でもあり、観光客も一度は訪れるベンタン市場のそばにあるお店でお茶をいただいていた時のことです。
 幼稚園か小学校低学年くらいの男の子が元気よく入って来ました。
 バッグをテーブルにポンと置き、店員と少し言葉を交わしている様子を見て、従業員の子どもかな?と思っていたら、母親らしき女性が入って来ました。腕には日焼け防止のアームカバー、そしてヘルメットを手にしています。2人が一緒にジュースを飲み始めると、日本語が聞こえてきました。日本人のお母さんとベトナム人のお父さんなのかなと勝手に想像していると、今度は4人の子どもたちがやって来て、別の広いテーブルに着きました。
 ちらちら様子を見ていると、先ほどの女性が先生となり、子どもたちに漢字を教え始めました。4人の子どもたちは、現地校の制服を着ていたのでわかりませんでしたが、みんな日本にルーツのある子どもたちのようでした。

「ごんべんでしょう、そこは」
「この漢字、まだやってなかったっけ?」
など、にぎやかな声が。

 NIMICの子ども日本語教室を思い出し、とても懐かしくなりました。
 「みんな、がんばれ~!」と心の中でエールを送り帰途に着きました。
(ホーチミン市にて 堀 明子)
 

 

 最終回

 シンチャオ、みなさん!
 ベトナムといえばパッと思い浮かぶのがクラクションとオートバイの洪水だと思うのですが、そのオートバイについて、最近聞いた面白いお話です。

 50ccまでは免許がいらないというのは聞いていました。
 でも、そんな小さいのは走っていません。(たぶん)
 家族で乗るため、荷物を運ぶために50ccでは足りないでしょう。

50cc以上の免許取得に必要な条件として
(1)年齢18歳以上
(2)身長140cm以上
(3)体重40kg以上
(4)バスト72cm以上(!)

 この(4)の条件は一体どこから?
 胸の大きさが運転にどんな影響が?そして、どこから出た数字なのでしょう!?

 実は、この(4)は国会に提案されてはいるものの提案されるたびに激しい反対に遭い却下され続けているそうです。

 胸が小さいと危険なのでしょうか?この数字からすると、小柄な人はぶつかったり強風で飛ばされる可能性があるということなのかもしれません。誰に聞いても、この提案が可決承認されることはないだろうということです。
 最近は体格のいい若者をよく見かけます。子どもは肥満気味。そして、お化粧をする女性が増えています。自家用車も増えています。所得が上がってきたということでしょう。でも、台所のないアパートや冷蔵庫がない家もまだまだあります。

 田舎では仕事がないためハノイ、ダナン(中部)、ホーチミン市などに来たけれど、学歴が低ければ高収入を得ることはもちろん、就職することも難しいのが現実です。帰るに帰れず、物乞いをしてバス代を作る場合もあります。ひったくりに味を占め、働かずにお金を手に入れる稼業に身を落とす人もいます。

 国民の平均年齢が28歳。ここ1~2年で4歳も上がりました。一人っ子が増え、高齢化社会もそう遠いことではないでしょう。
 
 地下鉄ができてもオートバイの数が減るとは思えません。路上食堂がなくなることもしばらくはないでしょう。

 ホーチミン市は、富裕層と貧困層をごちゃ混ぜに、首都ハノイにはない陽気さと何とかなるさ精神でこれからも増々発展していくのでしょう。

 いつまでホーチミン市の住人でいるのか、まったく先の読めない人生ですが、熱風に吹かれながらもう少しこの地で何かを見つけたいと思います。

 諸事情により今回をもちまして「今日もホーチミンは…」を終了させていただきます。
 これまで拙い文書をお読みくださりありがとうございました。

 今日もホーチミンは、熱風に吹かれながら喧騒の中、人々の笑顔と共に・・・。
 Tam biet. Hen gap lai. Chuc moi nguoi manh khoe.
 (ホーチミン市にて 堀 明子)
 

 


 
 
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